庭木をバッサリ剪定した!

 朝の庭に「オオキバナカタバミ」がひっそりと咲いていた! この花は 30年くらい前にヨットハーバー近くの神社の階段を登っていた時に 脇の土手から一株持ち帰ったものだが・・・繁殖力が強くて今では「自宅裏庭」の一面を占領してしまう程の勢いである。 写真1 参照  オオキバナカタバミ1(圧縮版).jpg

 さて家を建てた時に一応の植木を庭師さんに植えてもらったのだが その後40年この方 形を整える程度の作業を自分で続けてきたので「幹」まで切るような庭仕事は初めてだった。 コロナ禍の今年は時間を持て余していたので 庭師さんに頼むくらい大掛かりな「剪定作業」を自分だけでやってしまった。
 
 最初の状態は写真「茶色の壁」から50cmくらい外側にはみ出していたのだが・・・(25mmΦまで切れる後述写真の)ハサミだけで切れる範囲を剪定 次にノコも使って壁からある程度後退させたが 最終的にはノコで「太い幹」まで切り払って 植木を後方50cmくらいまで移すような形になるまで剪定してしまった! 春先になればどんな形で発芽してくれるのかが楽しみである。

 剪定後の最終的な姿は 写真2 参照 (剪定前の姿は残念ながら撮影無し)  剪定後の写真2(圧縮済).jpg
 写真を撮りながら気付いたのだが・・・根っこの部分は直径30cmくらいまでの古木になっていた。 根本(420縮小版).JPG

 剪定作業の後始末は 「大きな幹」「細い枝」 及び「葉っぱ」に分類できた。 ここまで切り揃えるまでの状況も見て貰いたかったが撮っていなかった。 幹と枝の部分は 市営焼却場にゴミ出しができるような長さに調整した。(ゴミ袋のサイズを考慮)
写真 3~5参照  ノコギリした大きな幹3(圧縮版).jpg ハサミ使用小枝(圧縮版).jpg 葉っぱ5(圧縮版).jpg

 葉っぱの部分は過去3回の剪定分を合わせると 高さにして「水仙の高さ」程度に積み上がったけど いずれは土に戻るだろう。 写真 6 参照。 水仙の高さまで積み上げられた葉っぱの山6(圧縮版).jpg
葉っぱ縮小版.JPG

 毎年バッサリ切っているアジサイは今年も又発芽し始めている! 今回は経験した事が無い程の大作業だったが間もなく3月。「発芽」したアトの姿が今から楽しみである。 

 今朝の「シルバーセンター」の広告に依れば 高所作業等は「高齢者従業員」には危険だから受注できないと明記されていたくらいだから 階段の踊り場から1.6mくらいの高さでの剪定作業になるので・・・80才の我が身には これが「お終り」の作業だろう! 淋しいけどアトは「専門業者」に依頼せざるを得ないだろう!  
以上

追記: 2/28だけども 菜の花が咲き始めたので追記します。 水菜: みずな゜菜の花」(580).JPG
チンゲン菜: チンゲン菜「菜の花1」(590).JPG
チンゲン菜の「菜の花2(280).JPG

日本への仏教伝来

 ちょつと大袈裟なタイトルになったが 今から7年半位前(H25/6頃)に作った資料が パソコンからひょつこり出て来た! 通常の使い方では何故か見付からなかったので 早速検索項目を付け直しておいた。

 その資料とは 「仏教」が日本に伝わって来たのは 奈良・平安・鎌倉・江戸初期まで(620~1670年頃)だったようで 各宗派毎に・・宗祖は誰か 念仏は何と唱えているのか 経典は 本尊は 教義は 「本山」はどこに 「長崎のお寺」はどこなのか? 等を「一覧表」に纏めた我ながらの労作資料だった。

 こんな.事を調べたのは 母親が死亡した際に 自分のお寺の宗派が「西本願寺」くらいしか知らなかったのに 「長崎のお寺」さんを決めねばならなかったので 葬儀社と相談しながら決めたものの 更にはお坊さんにあげて頂く「お経の種類」や意味など殆ど知らなかった。 先ずは一冊の「お経の本」を購入する事から始まった。

 お経の本 写真: 浄土真宗 - 縮小.jpg

 ここから先は 読者諸兄姉の意図次第だから 作成当時の資料をそのまま添付するだけに留めおきたい。 (ご覧になる際は画像を右回転させてご覧下さい。)
 調査資料 資料: 日本への仏教伝来.jpg

反省点: 我がパソコンには かって手当たり次第に各種資料を放り込んでいたので(検索の意識が甘かった)・・・ドキュメント内の資料検索については かなり見直したつもりだったが 今回は欠陥理由が解明できなかったので本質改善には到らなかった。
今となっては 気付いた度に管理要領を修正してゆくしかなさそうである!  以上

「コロナ対策」 ー完全リタイヤー者 編ー

  H3/1/7にコロナ「緊急事態宣言」が発令されてから新聞やTV報道にも注意を払っているが・・・感染者数が激減している割には死亡者が目立ち始めたようである。 飲食店その他の営業時間規制も効果が上がっているようである。
 その割には「通勤・通学者及び完全リタイヤー者」が心掛けている地道な取り組み(自己規制)に対しては 報道の目が殆んど注がれていないような気がしている。 要するに「政府保証金」支給の対象外だからかも知れない。 保証金の有無に関係無く「対象人口」が断トツに多い筈だから コロナ対策の浸透について目配りが必要では無かろうか?

 毎日のコロナ患者発生状況は次のとおりである。 (サンプルとして2月15日深夜の公表値を借用した)
(1).全国の患者発生数
210216 コロナ対策 (全国).jpg
(2).九州各県の患者発生数 (長崎県も要監視施設を絞り込み 県全体で「一日当り発病者」を遂にゼロまで頑張っている!)
210216 コロナ対策(九州各県).jpg
 さて「完全リタイヤー組」は専門家の呼び掛けに従って「三密回避」を守って居れば良さそうだが 日頃心掛けている独自の「コロナ対策」(4件)を書き足してみたい。 
(同居家族も夫婦二人だけのシンプルな筆者ではあるが(マスク 対人距離 手洗い の3原則も守りながら)長期間に及ぶ自己規制(ストレス)に対応して 各人各様の心構えが必要なように感じている。)

(3). 外出しなくなった分を 庭木の「剪定」や花や野菜その他の「庭いじり」等 年寄りにも適度な「屋外作業」を行うように心掛けている。
 写真は大きくなり過ぎたサザンカの枝落とし状況 210208 剪定後2.JPG
(4). 最近のNHK TVは 自宅に籠もっている視聴者を配慮してか? 「コロナ関連報道」の外にも その昔に観た懐かしい「再放送番組」が頻繁に放映されている。 飛行機発明の「ライト兄弟」や その他の懐かしい番組を見せられて NHKの狙いにハマってしまったのでは・・・TVの時間帯に縛られるので そうならない為には ある程度強い「意志」「工夫」とが必要だと感じている。
 (NHKは「製作費用」を節約できる「再放送番組」を編集・再放送したい筈だから!)

(5). 外からコロナを持ち込まないように「不要不急な外出」は差し控えていると・・・部屋に籠もりきりにならがちなので 運動不足にならないように散歩にも心掛けている。 その一方では「TVの誘惑」もあるので これらとうまく折り合いを付けねばならないようである。
 その為に筆者は ビデオで「録画と鑑賞」の時間帯を調整(やりくり)して 自分の都合に合わせてTVもちゃんと観ているつもり。 
ビデオの活用は「生活リズム」を保つ為に現実的な「解決策」みたいである! 

(6). 世の中全てが「外出自粛ムード」だが 幼稚園児や小学生も又外出を控えているようなので・・・近所の子供や老人の為に整備されている「運動公園」もガラガラな日が多いので(想定外の状況だった!)「散歩コース」に利用させて貰って居る。 
210214 秋寄公園1.JPG
210214 秋寄公園3.JPG   以上

ひと昔前のTVドラマでは「主人公」の印象が変わるようだが・・・?

 ひと昔前のTVドラマ「名探偵ポワロ」「刑事コロンボ」の再放送を楽しんでいたのだが・・・主人公が何となく若く感じられる! NHK・BS再放送での主役の顔は次のとおりだった: ポワロの顔写真は 
ポアロ2.jpg
コロンボの顔写真は コロンボ1.jpg

 不思議な事に 記憶していた主人公はもっと貫禄があり、年寄りの「俳優」だったような感じだったのに 何となく若く感じられるのである。  その理由(謎)は (1). 長期ドラマだったので撮影中に俳優が年を取った頃の番組を観ていたのか? 或いは (2). 観る側の自分が 当時の俳優よりも年上になってしまったので主人公が若く感じるのだろうか? 但し最初にTVドラマを観たのがいつ頃だったのかは思い出せない。

 「名探偵ポワロ」をNHKが最初に放映したのが 1990(H2)~2013(H25) 但し原作全70回分をNHKで放映されたのは 英国放映後1~0.5年くらいづつ遅かっただけなので略同時期の放映だった。 全ての放映リストはネットで確認済。 但し最近観た番組がいつ頃の作品だったのかを記録して居なかったので 主人公の顔写真と年令との関係は未確認。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%83%9D%E3%83%AF%E3%83%AD#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%BE%E6%98%A0
 
 「刑事コロンボ」がNHKで放映されたのは 1972(S47)~1981(S56) 但し前編45回分のみ。 後編24回分の「新刑事コロンボ」は放映の有無も解らないが・・・放映されたとすれば 作品の制作時期からみてS64~H14年頃だろう。  但し 英国で放映された全作品69回分の写真すべてをネットに提示されていたが・・・年寄りになった感じの主人公の姿は見当たらなかった。
https://www9.nhk.or.jp/kaigai/columbo/list/

 観る側の者が主人公より「年寄り」になってしまう程 昔の作品の「再放送」の場合には・・・記憶に比べて主人公が若く見えるような「錯覚」を生じるのかも知れない・・・と感じている。 (些細な事ながら 年寄りしか気付かない現象みたいだから書き留めておいた。)

「SNS」(ソーシャル・ネットワーク・システム)に 今頃になって好奇心が?

 「Facebook」「Twitter」などの呼び名は知っては居たが・・・これらを使った事が無かった! コロナ禍で外出もままならないこの頃だったが 久し振りに近所の本屋まで出掛けたら 珍しい本を見付けたので「衝動買い」してしまった。
 
趣味SISの本(210203購入).jpg
 帰宅してから 何に活用できるのかと考え始める始末だった。 コロナ禍で巣ごもり中だから・・・せめて政治家が最近何を言っているのか?  最近の世間の流行はどうなっているのか等を 覗き見る事ができれば程度に気楽に考えて居た。
 ページをパラパラとめくって見ると・・・好奇心を誘う記事が満載されているようだ! 
どうせ庭に出て水やりをするか TVやパソコンで退屈しのぎをしているくらいだから・・・利用目的も決めないまま気ままに読み進めてもよかろう! 「ややこしい勉強」は もうしないつもりだと先週のブログで述べたつもりだったが 日頃の退屈さが「爺の好奇心」にも「引火」しそうな雲行きである。

 「SNS」(ソーシャル・ネットワーク・システム)というネーミングも良いので・・・爺の好奇心にも引火しそうである。 先ずはPCのトップページに「SNSソフト」をダウンロードし始めた。


「追記」: 必要な資料を捜し出す為のソフト導入(エバノート)について 去る1/22付で報告したばかりだったが・・・ドキュメント欄に保管されている資料の検索をいろいろと試みていたら 「新聞記事」や「写真」が全く検索できない理由に気付いた。 エバノートに移す時と同じ要領で「タイトル」と若干の「説明文」とを付け加えるだけで(当然の事ながら)ドキュメントの資料も検索できるようになった!
(よろず資料には 検索できるように最初から考えておかねばならなかった訳である。)   以上

朝鮮半島の平和について (大袈裟だけど ご注目を!)

 今年1月22日に 国連決議の「核兵器禁止条約」が50か国以上の批准を得て発効した。 但し「核兵器保有国」とその「同盟国」(NATO 並びに 日本及び韓国等)は「批准を拒否」したままの膠着状態である。 

 長崎と広島の被爆者は「核禁止活動の出発点」だと条約発効を祝福していたが 長崎の平和公園ではいつもの「代表者四人」の顔に頼ったようなアピールが中心だったので 報道各社の報道も祝賀会の盛り上がりを欠き、お祝いの意義は 別室で代表者インタビューの形で実施したようである。 これでは県民レベルでの祝賀ムードには程遠い感じだった。

核兵器禁止条約祝賀会長崎.jpg
被爆者連絡協議会・川野議長.jpg

 「被爆体験者」を中心にした反核運動を続けていたのでは 何かがずれてきたような感じである。 しかし体調不良の為 祝賀会に出席できなかった下平作江さん(86才)の「語り部継承の悲願」を1/31付の新聞で拝見すれば・・・心が揺らぐようにも感じる。
210131 被爆者・下平作江さん.jpg

 現実問題として「被爆者の高齢化」もこれあり そろそろ被爆体験者中心から脱皮する時期ではあるまいか?  国民が安心して生きられるようにする為に「核禁」と「国防」とを同じテーブルで話し合えるような そんな「平和運動」が実現しないものだろうかと常々感じていた。 

 北朝鮮に一番近い「長崎県」の人間が生きながえる為には「反撃能力」(ショア・イージスなどの機能)を備えておかねば心配だし ・・・北朝鮮側も独立国家として「脅威」を取り除く為に核武装化の路線を選んでいるのだと推察もできるので・・・「ちからのバランス論」だけでは 戦争の「脅威」が双方共に残る(解消できない)訳である。 
まだ「議論の俎上」にすら上った事が無い、突拍子もない構想(アイデア)が思い浮かんだので・・これからもう少し理論武装してみたい!

 即ち 北朝鮮がスイスのような「中立国」に脱皮してくれる可能性を「話し合う余地」がないものだろうか? という発想である。 その為ならば 北朝鮮の経済復興にも「国際支援」が模索できるかも知れないし、北朝鮮も日本も「国防予算の使い道」がさま変わりするかも知れないので 何とか「まな板」にだけは上って欲しい。

 軍事力のバランスを崩さないようにするのが 国防の目的だろうから 北朝鮮の核兵器保有が「喉に刺さったトゲ」のままでは困る訳である!

 さて これからは北朝鮮の「中立国家」構想を片側におきながら・・・もう片方では 日本の「防衛構想」にも注目したいと思う。 しがないマイ・ブログではあるが 北朝鮮の「選択の余地」に期待して 今後を見守り続けたいので できればマイ・ブログへの読者の声もお聞かせ頂きたい。 
                                       
 実は SNSを使っていないし 今更(80才)開設するつもりが無いので・・・願わくばネット各方面で活躍中の皆さんに「北朝鮮の中立化」問題を取り上げて頂き やがては世論として「政治家の耳」にも届くような活動をお願いしたい! 

    

物忘れを補う為に! (資料を捜し出すソフト導入) 

 最近「もの忘れ」が気になり出したので いろいろと心掛けている処である。 1週間前にはマイ・ブログで「手書きメモ」を取り上げたが 今回は「直ぐに思い出す」のを手伝ってくれる「専用ソフト」の導入に熱中したら・・・何とか「実用化に目途」がついた。

先ずは 個人用のノート・パソコンを使い始めてから25年 スマホを使い始めてから10年くらいになるが 最近ではスマホ技術が突出したので・・・PCとスマホとの「コラボの時代」になっているようである。 先週のブログでも取り上げた野口先生の「超AI整理学」に触発されて 身近にたくさんある「情報」をストレスを感じない程度に「捜し出せる」ようにするには どうすれば良いのだろうかと いろいろ考え始め処だった。 そして「同年代の友人達」にも相談してみた。 同期入社の仲間には いろんな専門分野の人が居る「アリガタさ」を 改めて見直した!(80才の仲間内で 電子工学分野の相談事をする訳だから・・・)

 携帯電話⇒スマホに移行したばかりの頃にも(10年くらい前)コラボ技術をそれなりに使い始めていた。 「エバノート」のクラウド・ソフトを用いて「パソコンの資料」をスマホでも「見れる・読める」処まではできるように設定していたのだが・・・「外出先」でメモを書いたり・記録写真を撮って 両方から相互利用できる状態にはしていなかった。 退職後の自分にはそこまで使用する必要がなかったので「検索機能」そのものを 重要視していなかった反省あり。

 さて 10年くらい前に買い揃えていた専門書を再読してみたら・・・必要な資料検索が「できる」とは書いてあったが「使うべし」とまでは まだ強調されていなかった。 最近のインターネット情報では どの専門ソフトにも 必ず「使うべし」とある! 当時の参考書は次のものだった: 

エバノート基本と便利技.jpg エバノート超仕事術.jpg
スマホの取説.jpg

 資料検索のソフトとして「エバノート」を強く勧めてくれる友人が居るので アドバイスを受けながら勉強しているが 参考書だけではなかなか難解である。 「必要な資料」を捜し出す為に「エバノート」を使うには「使用目的」をしっかり自覚しておくべきだったと 今頃になって気付かされた感じ!

 幸いにも・・・身辺に起きていた「世相」やその時の「所見」を日誌として 10年くらい前から「エバノート」に書き留めていたので 既に約6800件ものデーターが備蓄済だった。 加えて新聞報道その他の資料は「ペーパーレス化」の為に「ドキュメント」に蓄えていたので これらを「エバノート」に移し込めば 過去20年間分の「手持ち情報」も追加できそう! 

 PCのデーターを眺めてみたら 10年前の福島原発事故当時の報道記録など貴重な新聞記事等も残されていた。
パソコンにも 資料が増えすぎて「捜すのに苦労」していたので 個人秘の要素が高いもの以外は この際「エバノート」に移したい。 
「ドキュメント」も これでスリム化ができるかも知れない! テストを兼ねて既に約100件程度を「エバノート」に移転させた。

  目下「エバノート」検索具合を試しているが 文中に検索したい「ひと言」さえ含まれておれば 快適に捜し出せるようである。  PCから「エバノート」へ移し替える時の「留意点や要領」もひと通り確認できた。 兎に角 データー移転を行いながら「エバノートの超仕事術」とやらを学習してみたい! 

例えば 「コロナ」で検索すれば多数の該当項目が表示されるので これに「長崎」加えて再度検索すれば・・・適数の資料が捜し出せるという仕組みである。 とは言うものの 本当の狙いは年寄りに優しい「ツール探し」だったのである。

 さりながら ふと頭をよぎったのが・・・自分がいつまで「生きながらえる」かである。 「エバノート」を有効活用できるまでには辿り着けるとしても・・・サクサクと検索を楽しめるまで「生きて居れるか?」が問題だろう。 「捜したい資料」がすぐに出て、利用できるようになったならば それこそが「儲けもの」だと思う事にしたい!
 

追記: 家族や同窓・仲間程度の少人数な読者を意識しながら執筆していた「マイ・ブログ」だから 便利な検索システムなど関係無さそうだと思いながらも 実用化に熱中してしまった。 何の為にと「自問自答」したら・・・ブログを書き続ける為には「欲しいツール」と思ったからである。 高度な利用法はおいおい勉強する事にして 先ずは「実用化を急ぐ」事に割り切った。 既に6,900件もの検索対象の資料が整っているのだから。
野口先生が絶賛されていた「グーグルレンズ」等の取り込み等は先送りにした!)


物忘れを減らす為に!(手書きメモ帳の実践)

 昨年末このブログで 表題の「新年の抱負」を掲載したばかりだったが 新年早々思い掛けない方向で展開し始めたので 関連第一報を発信します!

 「正確な漢字は どう書くんだったけ!」 というような都度「辞書」で確かめ始めたばかりだったのに・・・思い掛けない文字にも出会い始めた。 今のところ数例だけではあるが 疎遠の「疎」 喪中の「喪」 たか「鷹」と わし「鷲」との区別 見た事も無かった漢字「梟」(ふくろう)など・・・正しく書けるように文字を「超拡大」して「漢字のリスト」を作成し始めたばかりだった。 皆さんも辞書で試してみてみませんか?  210115 正確な漢字リスト.jpg  そもそも今年は正確な漢字をサラサラと「手書き」ができるようにと思い立ったのだが・・・年賀状が済んだら又パソコンでの文章作成に戻ってしまった感じ。 
「手書きメモ」作成を心掛ける程度の安易な発想だったのに 新年早々正月4日に同期入社仲間の「訃報」が入ったのを契機に「メールや電話連絡」が頻繁に飛び交って「手書きメモ」の必然性が現実のものになった。 しかもこれまで滞っていた「名簿の訂正」まで この際手を拡げたので(物故者追記 連絡先訂正など) 当番幹事としては突然大わらわになった次第。

 最初は気軽に取り組みむつもりだったのにメモ紙が溜まりだすと・・・「メモ紙の残し方」(整理方法)も工夫せねばならない事に直面し出した。 まだ1月中旬だからとも思うが 残り11.5ケ月間しか残されていない訳だから頑張らねば!

 今年はもう一つ 探したい情報がパソコン上でさっと検索できるという 野口悠紀雄先生の「超AI整理法」の実践を目指してみたいのだが まだ手付かずのままである。           
昨夜同期の仲間と電話する機会があったので「手掛かり」を相談したら・・・パソコンの「賢い使い方」よろず相談室「シニアネット長崎」が在るらしく 週1回開催されているという情報(手掛かり)を得たので 早速ネットで調べ始めたばかり。 彼の説明に「グーグルレンズ」「ライン」「ズーム」等々耳慣れない専門用語が飛び込んできたので 早速彼との「会話メモ」も書き残しておいた。 

超AI整理法.jpg
                           以上


降雪で押しつぶされた野菜も・・・。

 1月8~10日の降雪で押し潰されてしった「庭の野菜」も・・・何とか「生き延びた」ような表情をしている! アト数日もすればシャキッと上を向いてくれそうである。 野菜の萎れ具合は写真を拡大してご覧下さい。

(1). 雪に覆われてしまった「花壇の野菜」(1月9日)
  積雪した花壇.JPG

(2). 何とか生き延びた野菜(1月13日)
  花壇の野菜1.jpg  花壇の野菜2.jpg

(3). 他の野菜もかくの如く「いまいち」だけと・・もう直ぐシャキッとなりそう!
  サニーレタス サニーレタス.jpg
  チンゲン草 チンゲン菜.jpg
  春菊 春菊.jpg  以上
 

就寝時の暖房(1/12追記あり)

 就寝時の室温は エアコンで18℃くらいまで暖めておいて 就寝直前にこれを切って・・・無音・無風の「遠赤外線ヒーター」を起動させて居るのだが 1月8~10日は大雪・猛寒つづきだったので これまでは早朝10℃程度をキープしていたが「遠赤外線ヒーター」だけでは早朝の室温が気掛かりになった。

  1月9日早朝の雪景色: 樹木の雪.jpg

遠赤外線ヒーターの写真参照: 
遠赤外線ヒーター.jpg

遠赤外線ヒーターの原理(参照): https://www.gakubun.net/pc/00000005/e/520202/c/001011007/?aff_key=a8&publication_code=K80541

 1/9が余りにも寒かったので 早朝10℃程度をキープするには エアコンを静かに連続運転ができないものか? と床の中で考え始めた。 兎に角やってみる事にした! 結果は次のとおりだった。

 暖房設定温度:18℃に下げてみた 結果的にエアコンは静かに運転していた(騒音の原因「自動発停」は無く連続運転)
 早朝06:00の室温: 12.5℃ 但し遠赤外線ヒーターも併用
    参考: 居間 6.7℃  食堂 6.1℃ まで低下していた。
    注: 遠赤外線は「布団や人体」及び壁等を暖めるだけの原理である。 

 我が家では 「灯油ストーブ」は部屋の急速暖房に限定使用し 通常は「エアコン」を使いっぱなしである。 夜中に1回は起き出すので コストパフォーマンスなど言ってはおれず「快適さ」を優先。 


「 1/12 追記」:遠赤外線ヒーターを切ってエアコンだけにしてみたら エアコンが発停制御に入って・・・「吹き出し風」を顔に受け始めた。 ヒーターとの併用無しではエアコンの静粛運転ができなかった! 原理的な理由は解らない。 外気の温度がもう少し高くなり(早朝の室温が10℃以上をキープできるようになったら)無音・無風のヒーター使用だけに戻したいと思う!


 

玉切れ寸前の「老いの人生」

 新年早々 ブログとしてどうでも良いような「懐中電灯の玉切れ」の話題からスタートする事になったが・・・玉切れ寸前の「老いの人生」を考えさせられるキッカケにもなった!

 先ずは 長年使用してきた懐中電灯の「白球」が切れたので、近所の店で探したけど見つからなかった。 夜中に1回位は起きるので懐中電灯は欠かせないので、新しい懐中電灯を買ったら「LED型」だった。 同じメーカーだが「白球」「LED電球」に変更されていた。
サイズも重さもやや小振りになっていたが大差は無かった。 電池の消費量比較は未確認。 外観は次のとおりだった。

 (1).新型懐中電灯  懐中電灯(LED).JPG 懐中電灯(LED電球).JPG

 (2).旧型懐中電灯 懐中電灯(白球).JPG

 室内だけで使うには 光線(ビーム)が絞られているので遠くまで届き過ぎる感じだったが・・・ビームが遠方まで届くという事は、ヨットから「岸壁の様子」が見えそうでもある。 ヨットには専用の大型電灯を備えていたが、これが不要になりそうだから早速確かめてみたい。 僅か1000円足らずの買い物(懐中電灯1本)で、新年早々楽しみながらいろいろと観察できた!

 さて 自宅には「蛍光灯の部屋」がまだ残っているので 「玉切れ」でもしたら蛍光灯だけを取り換えて済ますかどうか? 迷うかも知れないが・・・そもそも古くなった広い家にいつまで住み続けるのか ? が本質的な問題であろう! 

 (二人で 或いは一人住まいになった場合)これから先の暮らし向きは・・・家そのものが年寄りにも便利になるように各種「改造」をしておかねばならないのか? 或いは 快適な「食事付ケアハウス」に移り住むのが相応しいのか? 今年はいろんな角度から「究極の暮らし向き」を二人で「調べてみる年」にしたいと話し合った次第!

 年寄りには 生活環境の変化が「心理的なストレス」になるらしいので 自宅はいつでも戻れる状態で転居した方が良いらしい。 ここに行かざるを得なくなったという「諦めのストレス」を回避した方が良いという学説があるらしいので・・・「体験入居」などの制度利用もその内に考えねばないようだ! 

 いずれにせよ「提案」と「旗振り」が我が方の役目で・・・決断の「イニシアティブ」は生活の実権(食事・買い物・家事全般)を掌握している奥方側にありそうである。

 今年の年賀状では 何とか元気で生きているよ! との近況報告が行き交ったが・・・我が身の「玉切れ時期」だけは誰にも判っていないので、長生きできるとすれば「老いの人生」計画も大変な違いになる。 
いつ頃に自分の「玉切れ時期」を迎えそうなのか? と漠とした条件を掲げた訳だから・・・生きている限り何回でもシミュレーションを繰り返しながら「おのれの人生」を見つめてゆく事になりそうである。



「超・整理法」活用の説得力

 年末最後のブログに「来年の抱負」を発信したばかりだったが・・・もう1件だけ追加します。 

 最近のマイ・ブログにも取り上げた「日本の経済学者」であり「超・整理法」の著者でもある「野口悠紀雄先生」が、「政府のコロナ対策」に対して 昨日のHPで批判的な意見発表をなさった!
早速HPアドレスを皆さんにも紹介しようと思ったら、完全にブロックが掛けられておりコピーを引用する事ができなかった。(情報元:東洋経済社の仕業かも?) 従って「著者名」と長々しいタイトル「80才の私が政府のコロナ対策に強く切望する事」とを用いて検索したら再現できたので皆さんにも是非ご一読頂きたい。

 野口先生の論点は 経済学者の見識からズバリ「モノ申す」調の文章だったので、賛否の程は皆さんのご判断に委ねます。
 
 私が共感した要点は: (ご参考まで)
(1).先生が主張されている論点には、必ず「日付入りの根拠」が示されていた。(「整理学」を完璧に実践されていた事に感銘。) 
(2).先生(著者)の顔写真は変わらず「精悍な学者」のイメージだったが・・・「年老いた写真」をHPで初めて見た。(小生と同じ年齢なのにいつまでも変わらない容姿は 出版社のイメージ作戦だったのかも?) 最近の写真はHPに掲載されていた。

201227 超整理法.jpg

(3).最新の「超・整理法」を再勉強して、自分が作成する資料にもできるだけ実践してみたいと痛感!(手遅れかも知れないが心掛けてみたい

「手書き文章」の習慣づけ

 年末になると毎年「新年の抱負」(新しいチャレンジ目標)を思い定めていたので、来年は何にしようかと思い巡らしている。 
最近「物忘れ」「正確な漢字」に苦労し始めたので・・・「物忘れ」はどうにもならないだろうから「漢字」を正確にサラサラと書けるように来年は「挑戦」してみたいと考えた!

 何から始めればよいのか? ネットで探してみたら・・・小中学生用マンガ「漢字のおぼえ方」なる本が目に留まったので、「中学生に戻る」つもりで取り敢えず1/2冊を取り寄せてみた! 

漢字のおぼえ方.jpg
 
 退職後は会議メモを取る必要も無くなったので、「手紙や予定表・日誌」に到るまでよろず「パソコンやスマホ」利用になってしまった。 最近では正確な漢字を書くのも怪しくなって「手書きメモ」を取るのがシンドクなり出した。 消しゴム付きのボールペンで凌いでもみたが、来年は漢字を正確に「手書き」ができるように挑戦してみたい。 
「漢字のおぼえ方」を読んだからどうにかなる訳でも無さそうだが・・・「次の一手」を見つける為にも 先ずは「見切り発車」である。

 パソコンの「威力」や「便利さ」とを享受してほぼ26年位になるが、よろず「必要な資料」を瞬時に探し出せる便利さ(データーの蓄積)に重宝したようだった。 これも又生きている限り手放せない代物である。 下記資料は昨年出版されたばかり。
 
超AI整理法.jpg

 「超・整理法」なる珍しい書物に初めて巡り会ったのは  パソコンの時代になる前だったと思うが キャビネットに保管せねばならないファイルが溜まるばかりだったので 探しやすい「ファイル 名称」を付けるのに悩まされていた。 読み直したファイルはキャビネットの「手前側に戻せ」という単純な法則に救われたようだった。 即ち利用頻度が高いファイルは手前側に集まるので探し易くなり、余り利用しなかったファイルは奥側に溜まるという単純な法則だった。 「パソコンの時代」になってからはこのシリーズ本が時期を得て、何度も進化・改定されたようである! 著者・野口先生は「一橋大学」⇒「東大」の教授に移籍されて、その後も「超・整理法」の最新版で大活躍中である。 (先生は私と同じ年齢)

 さて文字を「書く習慣」を長年怠って来たツケを最近感じ始めた。 80才を過ぎたのだから、失った記憶を取り戻すのは恥ずべき事でも無いので、来年は「漢字の手書き」に挑戦してみたい!

では マイ・ブログを見て下さっている皆さん どうぞ良い年をお迎え下さい!


年末の電灯取替え

 年末に暗い感じの電灯が数個見つかった。 お風呂では(適度に湿度があるので)天井の電灯ケースにカビがこびり付いて真っ黒になっていたので磨き上げねばならない始末。 電球自体が暗くなった物も1個交換した。 手入れ前と後の効果がご覧頂けたら効果バツグンだったのだが・・・。

201216 年末の電灯掃除.jpg 
 昨年末は パソコンのメモリーカードを取り換える故障に遭遇し、同じWINDOW-10でも最新版を挿入されたり メールソフトも最新版に替えられたりしたのでパソコンが使えるようにするのにテンヤワンヤだった。 そんな事情で昨年は電灯の点検・取替えまでは手が回らなかった!

 電球⇒蛍光灯⇒LED電灯 へと時代が移り変わったのに・・・年末の電球交換は「男の仕事」だと思い込んでいたのも時代遅れだった。 「長寿命LED」の時代になったのだから・・・年末だから取替える時代でも無くなったようである。


会津を「賊軍」では済まされまい! (明治文化に貢献大)

 NHKTVで珍しい名前「捨松」(すてまつ)なる女性を紹介していた。 明治4年米国に派遣された女子留学生5名の中の一人。 (左から永井9才・上田15才・吉益15才・津田6才・山川捨松11才) 上田と吉益だけは翌年帰国。 写真参照 米留少女.jpg

11才で出国に際し 母親(未亡人)が「捨てたつもりで送り出すが 帰国を待っているよ」と言い出して「捨松」(すてまつ)に改名したという。 帰国翌年(明16)には「鹿鳴館の麗人」(美貌・洋装・三か国語堪能・社交ダンス堪能)とまで絶賛された人物だった。 写真参照:捨松.jpg

 会津若松と言えば 悲劇のドラマ「八重の桜」(洋式銃の使い手)「白虎隊」等を観ていたが・・・今回は「捨松」を育んだ山川一家「戦後の生き様」をネットで調べている内に次々と深入りしてしまった。 皆さんもネットサーフィンをなさってみて下さい!

 先ずは地図で 次の地理関係を確かめて頂きたい。 
(1).福島県会津若松市 (2).会津藩主と武士たちが謹慎させられた「猪苗代市」 (3)会津武士の.島流しで 出航させられた新潟港 (4).島流し先は「斗南藩」(となみはん)と名付けられたばかりの荒涼たる荒地だった。 青森県大湊に入港し「田名部」に入植した。(現在は大湊市に併合) (5).移住翌年の明治4年には「廃藩置県」に依って 藩主一家だけは東京に移転させられた。 (6).残された武士たちは惨憺たるものだったので「恨み言」の説明版が随所に残されている。  説明版の一例参照 説明版1.jpg

 前述「島流し」の経路から 会津藩士たちの無念さ(薩長憎し)と「悲惨な運命」とを想像下さい!

 教養を身に付けていた有能な武士たちは 「斗南」から東京に出て 「教育者」「学者」「警察官」「実権を伴わない軍人」「官吏」などに職を求めた。 「捨松」の兄弟姉妹は全員が教養人として東京で大活躍。 長男の浩は藩主に従って「家老」(25才)として斗南に渡ったが 「家長」としては 敗戦直後に末妹(後の捨松)を「北海道・室蘭」の知人宅に預けている。 次男・健次郎は猪苗代から脱走(亡命)させ「長州の知人宅」の書生に送り込んでいた。 (明4年「岩倉使節団」に随行する留学生の募集に 弟・健次郎と妹・捨松とを応募させた) 姉と妹は嫁ぎ先で苦労しながらも女性最先端の教養人に。 元 家老だった祖父や親戚の知恵もあったかも知れないが・・・家長として実に「周到な采配振り」だったように思う。

 次男は後に「東大総長」 長女は「東京女子高等師範学校」(お茶の水大学)の教授 二女は「明治天皇の仏語通訳」。 家長の長男・浩は家族の身の振り方を見届けて やや出遅れたが・・・陸軍を経て「東京師範学校」(現筑波大)の初代校長に栄進。 

写真は全てHPから借用しました。
長男・浩の写真参照
山川浩.jpg
次男・健次郎の写真参照 
山川健次郎_2.jpg
長女・二葉の写真参照  山川二葉.jpg
二女・操の写真が見つからなかったのでHP参照  https://ameblo.jp/1868a/entry-11980884130.html
 操はロシアに随行(2年間仏語を勉強)の成果を「明治天皇の通訳」に。 外国にも精通していた「捨松の夫」(大山巌元帥)が宮内庁に取り次いでくれた模様。
末娘・捨松の写真は最初に紹介済。 他にもう二人居た筈だが検索できなかった。

 物知りな友人に山川家の人脈探しを相談したら・・・名前さえインプットすれば「親と子供」の名前が判る「閨閥学」なるソフトの利用法を教えて貰った。
次男・健次郎(東大総長)の 長男・洵(まこと)氏も東大教授に。 もしかしたらと念の為調べてみたら・・・私が知る防衛庁の偉い人(技術本部長・山川健郎(たけお)氏)は健次郎氏のお孫さんだった。 (顔写真にも見覚えがあるので間違い無し)
写真参照 山川健郎氏.jpg
 
 会津を語るに 「錦の御旗」を掲げた薩長に対して 「京都守護職」だった「会津」が何故「賊軍」だったのか?  長男・浩が謹慎中の猪苗代で「孝明天皇からの感謝状」を根拠に 賊軍問題を執筆していたらしい。 斗南から戻った直後に「薩長政府」に申し立てたら・・・発言を禁じられたらしい。 兄が逝去後も弟・健次郎が何度も問題提起したが 政府は取り合おうとしなかった。
時期を見計らって 明44年に「東大総長」の健次郎氏が 兄執筆の「京都守護職始末」を遂に出版した。 50数年位前に出版された本ではあるが図書館にあったのでこれだけは読んでおきたい。

 それにしても「江戸城の無血開城」を知っていた筈の会津が 何故戦争を回避できなかったのか?  不可解ではあるが・・・「賊軍」呼ばわりされた「会津と江戸の人たち」が 明治時代に「文化レベル」の要職を背負ってくれたようにも思えた!

 

人探しまで脱線した「マイ ブログ」

ブログを手掛けて8年目に入ったので 「過去7年間分」全てを読み直してみたら・・・月平均 4.7回くらいを発信していた。 好奇心が趣くままに書き進めていたようだが・・・地元新聞の「人探し」記事に心を打たれた時には 人探しまで脱線してしまった「変な記事」1件を見付けた。 誰に頼まれた訳でも無いのに お節介な出来事だった。

 6年前の地元新聞に 年寄り(当時80才)が子供の頃の懐かしい人を探して居られたのを知った時のブログ記事だった! 

 新聞に依れば 造船所近くの「飽の浦」に住んでいた少年(小6)が 当時三菱造船で実習中の大島高等商船学校の生徒(近所の寮に居住)に可愛がられたらしいが 高齢になってから懐かしく思い出し できれば再会したいという思い出の記事だった。
 探し主: 時津町在住 満田氏(新聞記載当時80才)
 実習生:大島高等商船学校生 兼本氏(記載当時85才位?)

2014/11/19付 ブログ「昔の記録写真」だったので その時の「新聞記事」を再度添付します。 記事は拡大スクロールしてご覧下さい。 140326大島商船学校工場実習生.jpg

 フログの発表内容・要領共に未熟だったが・・・PCに残っていた当時の記録が見つかったので その内容も追記して要点のみを再報告します。 誰から頼まれた訳でもないのに 勝手にお節介したものだと思っていたけど・・・「結果よし」だった!

 「人探しの経過」は 次のとおりだった。
[1] 大島高等商船学校の校長先生にお願いして 同窓会名簿の住所を探して頂いたが 電話が通じなかったので 次の手段で調査を継続した。
[2] 同窓会長崎支部があるという事を先生から伺ったので 重工長崎に居た支部長に相談したら・・・探していた兼本さんの住所近くに居るクラスメートを動員して貰えた。 
[3] 兼本さん本人の自宅は 既に空家になっており しかもご本人は「数年前に死亡」されていた。
[4] 近所に娘さんの住所を確認できたので 「娘さん」の了解を得た上で (全く面識も無かったのだか)「探し主」満田氏に彼女の住所と氏名をお知らせできた という処までが前回のブログ内容だった。

[5] その後「探し主」満田氏から 兼本さんの娘さん宛に「挨拶状」「香典」とをお届けできたというお礼状を頂いていた。

 満田さんや 兼本娘さんへの当方連絡文章は PC上に一部見っかったが新聞社その他にも協力頂いた筈。 今となっては満田さんのご健在を願うばかりである。


追記: 最近では「個人秘」とやらで 各種同窓会名簿の発行が難しくなっているいるようである。 既に20年間位発行されていないかも? 毎年発行している少人数の支部レベルですら「電話番号」「メールアドレス」等の表示が難しくなりつつあるらしい! 会員の動静を確認できる筈の名簿が 制約され過ぎるようでは「何の為の名簿」なのか? 

 一見「個人秘を厳守」している筈でも 「会誌の発送」や「会費の徴収」などを事務局はできている訳だから・・・名簿の作り方(使い方)にも「工夫の余地」が有りそうである。 (会員で無い者への流出さえ 防止できれば良いのだから・・・)

昔の中国の「独善・賢者思想」(冊封制度)

 昨年10月31日に「首里城が焼失」してから1年過ぎたのを契機に 9年前に連読10回放映された「琉球王国の物語」を再放送された。 一人の「賢い少女」が男に成りすまして宦官(かんがん)になって、首里城で手腕を発揮したという「女性官吏」の物語だった。

 このドラマを理解するには 中国歴代王朝の「歴史的な思想」(価値観)を理解しておかねばならなかった。 即ち 中国の王朝(天子)が世界文化の中心にあり、他地域の者は全て非文明人(蛮人)である。 天子に贈り物をして配下になる事を願い出た国や集落に対しては、中国文化を伝授 或いは貿易に応じてやるというのが外交上の基本思想だった。 「遣隋使・遣唐使」を受け入れたのもこの例だった。 日本の天皇が属国になる条件で教えを請うた筈は無いのだが・・・「教える側の論理」はこういう事だった。 

中国の冊封制度(さくほう)を理解するには 次のHPを参照: 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81%E4%BD%93%E5%88%B6

天子から天皇への返礼品が「正倉院の宝物」として大切に保存されているのは・・中国側からみると「日本が冊封国家」だった証拠であろう。

 頭の整理ができた処で ドラマの背景になった「琉球の歴史」を確認しておくと・・・。
1322~1429年までは「琉球3地方」の領主が 夫々に明朝に冊封としての贈り物を行い 「貿易権を享受」していた
1429~1879(明12年の廃藩置県まで)「琉球王国」(3領地を統合)が「冊封国」になって「貿易権を享受」していた。

 さて TVドラマに戻ると 清朝冊封の島国「琉球王国」は 冊封王国として「薩摩からの独立」を堅持しようとした「女性官吏」のドラマだった。
女優「仲間由紀恵」名演技のドラマだった。 写真(1)  TVドラマ「テンペスト」.jpg

昨年「首里城が消失」した時の写真 (2) 首里城炎上.jpg

「復興予定の首里城」(消失前の雄姿)(3) 首里城.jpg
ドラマの概要は: https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=tempest2011

 明治12年の「廃藩置県」の折に「琉球国王」も一藩主として東京に移り住む事になり 「琉球王朝450年」の歴史を閉じて「沖縄県」になったらしい。 そもそも「琉球」という島が、鎖国下の薩摩藩に依って「日中貿易の抜け道」に利用されたのだが・・・うま味を知った薩摩は 琉球を実効支配するようになったので、薩摩人と差し違えてでも「琉球の意地」を示そうかという物騒な場面もあった。 ついには「廃藩置県」に依って琉球国は閉じて(消滅)しまった訳である。
 
 主権国家だった「琉球」は 「薩摩藩」や「明治政権」 戦後は「進駐軍」に長く(27年間)支配されたので・・日本人としての「気持ち」が根付き難かった・・・というのが 今の「沖縄県民」ではあるまいか?  このドラマを通じて沖縄県民の「複雑な心情」に接した感じだった。


まぼろしの「池島炭鉱」(昭和34年開業・平成13年廃業)

 ひと月前にマリーナーから約15マイル(約3.5時間)の「元池島炭鉱」一周を試みたのだが その時は「イルカの大群」にめぐり逢えて幸運だった・・・のだがカメラ持参を忘れていたので悔しかった! 今回は池島上陸を目論んで出掛けたが日帰りではほんの限られた範囲の見学しかできなかった。 島内の観光ツアーもコロナ禍で「休業中」だった。   令和2年現在での島民は 94世帯 120人(男72人/女48人)の情報もあるが、観光ツアー再開次第で流動的かも?

[1] マリーナーから池島までの航路は 図1 (1).1018池島までの海図.jpg

[2] ヨットの係留位置 フェリー係留バースの裏側  対岸に見えるのは昔の石炭積み出し岸壁 写真1 11停泊中の海翁.jpg

[3] 対岸のアパート 居住者は不明だったが何人かが居住の気配 写真2 4対岸のアパート.jpg

[4] 対岸に事務所風の建物(池島開発総合センター) 写真3&4 2池島開発総合センター.jpg 3池島開発総合センター.jpg

[5] 広場の草は ヤギ放牧で清掃中? 写真5 5公園の草を喰うヤギ.jpg

[6] 廃墟の町の筈なのに何やらビル工事中? 写真6&7 8アパート外壁の改修中.jpg 9工事内容.jpg

[7] フェリーの発着先は 「松浦」「瀬戸」「神浦」の三か所。 大人の船賃は夫々に590円 450円 430円 中学生以下は半額。
更に 佐世保市と大島から「高速艇」も就航していた。
フェリーの写真は 写真8 池島へのフェリー.jpeg

池島炭鉱の歴史: 詳細はHP参照: https://tanken.com/ikesima.html
1947~49(昭22~24) 石炭庁が池島に石炭層を確認。 1959(昭34)三井三池の最先端技術力で「池島炭鉱」が出炭開始。 1981(昭56) 炭鉱救済目的だった「松島火力発電所」が完成したのに 採算上輸入炭が使用された。  1985(昭60)最高出炭量達成(島民7000人)島内のマイカー600台も。  1997(平9)三井三池閉山。 2001(平13)池島閉山 

いまどき されぞ「万年筆の病院」

「ボールペンの滑り」が良くなってこの方 ボールペンが便利になり 最近では「消しゴム」まで使えるようになっている。 従って「万年筆」が殆んど使われなくなった。 ところが「はんこレス」(サインでOK)が新政府で検討中らしいので せめてサイン用くらいには 昔使っていた万年筆を使ってみようかとインクを取り換えて再利用を試みたら インクが出ない! 念入りに水洗いしてもダメだった!

 長崎で老舗の・・「万年筆の病院」に持ち込んでみたら 10分くらいで「修理」して貰えた! しかも 治療費は ¥550-也。 
万年筆は毎日使い続けねばインクが「目詰まりする」ものだと注意された。 「パソコン」「書き直しができる」ボールペンに慣れてしまっているので 毎日使うようにと言われても? いざという時には 又「病院」に持ち込むしか無さそうである。

 万年筆病院の立看板 写真2 万年筆の病院.JPG

余談:
(1). 小説家などには「疲れ難い 万年筆」が 貴重な道具の時代があったらしい。
(2). 作家・吉村昭氏は 先代店主に対して神棚にでも手を合わせるような仕草までして「修理の神様」だと評していたらしい。 吉村氏のエッセイにも掲載。
(3). 店頭にはたくさんの万年筆が陳列されていたが 約七割は今も「県外のお客」さんらしい。 これ程の人気とは知らなかった!

(4). その昔長時間メモを取るのに「万年筆」は「指先の疲れ」が少ないと実感していたが・・・同じ型式が今も品揃えされてあるらしい。  耳打ちされた価格は相当に高価だった。 大切に使わねば・・・!

浜の町アーケード街にも「時代の流れ」が・・・。

 昭50年頃から「都市銀行」のカードを利用し始めたが その後、銀行の「役割」や「利便性」なども随分様変わりしたようである。 最近は「電子決済」の普及や「コンビニとの連携」などにより「現金の出し入れ」の為に 銀行に行く必要も無くなっている!
久し振りに「通帳に記帳」するだけの為に出掛けて・・・銀行の雰囲気を覗いて来た。

 デパート前の一等地(アーケード街)に陣取っていた銀行も・・「雑貨店街」の一角に引っ越してしまっていた。 あれもこれも書きたいがアトは読者自身の体験から「時代の流れ」を感じ取って頂きたい。
 
 今回から編集方針を若干変更しました。 作成の「モットー」を「考えてみるぞ」⇒「撮ってくるぞ」に変更。 (コロナ対策で家にばかり籠っていたら「脚力の低下」を感じ始めたので) 

(1).移転の為 閉店された銀行  跡地にどんな店舗が進出して来るのだろうか?  写真1 (1).閉店中の銀行.JPG
(2).アーケード街のど真ん中で繁盛している「野菜・魚の産地直売店」 某カステラ屋さんの新事業らしい。  写真2 野菜屋.JPG
(3).雑貨屋の街に移転した銀行  お客も銀行もこれで良かったみたい!  写真3 開店中の銀行.JPG

(4).もはや珍しくも無くなったが アーケード街には「100円ショツプ」「大型薬局」などが定着している。 アーケード街は常に「時代の最先端」を走り続けているようである。 
昨年3月 NHKTVでも報じられていたが「アーケード街」は 元々(今も)「国道」(324号)である。 2018/5/20 出版「国道の謎」参照